敷物を敷いておくとか、土足のうえから何かカバーを履いてもらうとか、そういう配慮がなされなかったのはなぜだろう、と今、書きながら考えている。応対する日本側は、役割分担をしていたと思う。交渉に臨むグループ、通訳のグループ、などなどの直接前面に立つグループの他に、会社でいうと総務のような裏方のグループがあって、駕寵の手配や馬の世話、畳に座ることを拒むという欧米列強との交渉のテーブルとイスはどう手配する、会食のメニューや座席の順、たとえば対面して座るのか、並んで座るのか、対面するならどっちが床柱を背にするか、飲み物はワインか、酒か、お土産はどうする、こんな具合に次ぎから次ぎに湧いてくる難題に総務部は頭を悩ましていたにちがいない。
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前例があればいいが、皆目ないだけに、前例を尊ぶ総務としてはまことに悩ましい一日で、席順やメニューといった失敗の許されない方面に気配りを集中投下していた。さしもの総務の気配りも底をついていた。灯台もと暗し、足もと暗し。まさか土足のまま畳に……。この下田の交渉のあと、江戸城で将軍との対面が行われるが、その時は下田に懲りて、ちゃんと敷かれ、機能上も体面上もノープロブレムなのが証明された。日本伝来の畳の上に直に座したり臥したりする生活と、欧米舶来のイス、テーブル、ベッドの生活、この正反対の暮らし方の対決第二ラウンドは、欧米優勢のうちに終わった。